2020年08月20日

花の歳時記 8月 ひまわりとフィボナッチ数列

花の歳時記 8月 ひまわりとフィボナッチ数列 8月に入って、梅雨が明けたと思ったら、体温を超えるような猛暑になった。 庭の水遣りを少しやるだけで汗びっしょり。 四季バラがちらほら咲いているが、8月も我が庭から紹介できるような情景はない。 お盆休みに入って新聞で紹介された愛知県稲沢市祖父江町の「ひまわり」を見に出かけた。 「祖父江善光寺」にお参りし、すぐ近くのひまわり畑に向かう。 車を停めて数十メートル歩くだけで背中が焼けるように熱い。 ひまわりは暑さに強いと思ったが太陽が既に高い位置にあるせいか、「向日葵」とはならず、写真のようにだらっとしている。
50年ほど前に「ひまわり」の映画を見ました。 悲しげなソフィアローレンの表情に「ひまわり」のメロディが流れました。
花言葉は、
「あこがれ」、「あなたを見つめる」、「熱愛」、「偽りの富」など。
燃え盛るような「熱愛」がこの猛暑にはふさわしいかも。

花の歳時記 8月 ひまわりとフィボナッチ数列 ひまわりの中心から右回りと左回りにらせんを描く種の配列は、(1)左回り21列、右回り34列 (2)左回り34列、右回り55列 のようになっている。 21、34、55、は 1,1に始まりひとつ前の数字を足して1+1=2、2+1=3、以下5、8、13、21、34、・・となるフィボナッチ数列になっている。
この数列の隣り合う比は、黄金比(1.61803 ex 34÷21=1.619)に近づいていき、{360-(360÷1.618)}=137.5度となり、137.5度の間隔で種を並べていくと写真のようにぎっしりと並ぶことができる。±1度違っても種は密にならない。(興味がある人にとって)自然の中は数学の魅力が溢れています。


2020年06月26日

創業者の妻を偲んで

昭和52年に父とともにアサ倉工業を創業した母が、令和2年4月に亡くなった。享年98歳。
母は、関東大震災があった大正12年に愛知県岡崎市の田舎で6人兄弟の次女として生まれた。
小学校から帰るとすぐ裏山へウサギのエサを取りに行って狐に化かされたことや、まわりの家に電灯が燈っても、うちはランプのままだった・・・などと子どもの頃の話を聞かせてくれた。
高野山で修業してきた祖父(母の父)が小さな檜の祠(ほこら)を細川の龍神山(りゅうじんさん)に建て、等身大の子安大師さんを家に祀って、三河弘法の札所にもなったが、貧乏は半端じゃなかった。
先日、母がお世話になった岡崎の住職にご挨拶に伺ったら、亡くなった21日は弘法さんの命日だと教えていただいた。深いご縁があるのだろう。
母のつつましい金銭感覚と、一方で苦労の中でも何とかなるという信仰に近い楽観主義は後年のアサ倉工業にじわっと影響を与えたかもしれないし、私だけがそう感じているのかもしれない。
特に、アサ倉工業を創業してからの数年間は「精出せば凍る間もなし水車」、「辛抱も朝日待つのも竹の雪」と口癖のように唱えてたし、「金がないのは首がないのも同じ(で情けない)」と聞くほど資金繰りの苦労も絶えなかった。
“自振り手形”を切らなくなって久しいが、母の頑張りがこんなところにも反映されている。
会社の銀行印を管理していた母も、80才になって後継に悩んでいたころ、普通の主婦だった家内が『私がやりましょうか』といった瞬間、父の顔がパアーっと明るくなった。
私より9年早く、妻は入社し、母からもいろいろと教えてもらった。
母は戦前に父と出会っており、父は中国の戦地で機関銃連隊に所属し、大勢の仲間が戦死する中で生還した。父は生死に対して腹の据わったところがあり、典型的な昔風の二人は補いながら人生の苦労を支えあって、振り返ってみると、案外幸せな生涯だったと思います。                   合掌
 


2020年03月16日

オリンピック開催の可能性とコロナウイルス対策  

トランプ首相が無観客で開催するくらいなら、1年延期したらどうかと発言したが、安倍総理や小池東京都知事が、中止や無観客はあり得ないと表明した。今年の開催を中止と言おうものなら不届きものと一喝されそうな雰囲気があった。
だが、果たしてそうだろうか。
                                                                                   
 経済(損得)の影響
TOKYO開催が決定後、それに向けハード・サービスなどの投資が着々と進み、7月24日の開会式に向けた聖火リレーはもう始まっている。     
事業経営者の立場からみて、もし中止になれば損害は、想像を絶するものになるだろう。乾坤一擲の投資が回収できない影響は、株価下落、倒産増を招きかねず、泣きっ面に蜂が集団で襲って来るようなものだ。
                                                                                   
 開催したときの交通・物流事情の現実 
円滑な運営ができるように『東京都オリンピック・パラリンピック準備局』というサイトがあり、さらにクリックしていくと「2020TDM推進プロジェクト」が出てくる。(https://2020tdm.tokyo/index.html
TDMとは「交通需要マネジメント」のことで、自動車の効率的利用や公共交通への利用転換などによる道路交通の混雑緩和や、鉄道などの公共交通も含めた交通需要調整をする取組みであり、何月何日何時のどの道路、鉄道がどれくらい混むかといった精緻なシミュレーションの地図が現われ、時差通勤や渋滞を減らすなどの対策や協力を具体的に示している。
東京23区に1,000万人が住み、ただでさえラッシュアワーや渋滞が恒常化しているところに、海外から最大同数ほどの観光客、関係者が押し寄せるとすると、いくらオリンピックスタジアムや選手村を整えても円滑に運営できなければ意味がないので、こうした検討・準備が国家的プロジェクトとして行われるのは当然である。

 今のコロナウイルス対策との矛盾
イベント中止、不要な外出の自粛といった要請が行政から発信されている。
「クラスター」と呼ばれる集団感染防止に向けて休校にしたり、デイサービスも控えろなどと多少の副作用にも目をつぶれという案内である。
密室で換気が悪く隣同士の距離が取れないところは感染しやすいから控えるようにという情報提供があった割には、満員電車の危険度についてのアナウンスは遅かったような印象がある。 
オリンピック開催のGO/NOT GOを議論する上で、上述の極めて緻密なTDMの視点が開示されないのは不自然でもあり恣意的な匂いがする。
一方、世界的な感染が広がる中、WHOがパンデミックを宣言し、株価は急落し、 各国では思い切ったリスク対策が次々と打ち出されてきている。
                                         
 リスクマネジメントセオリー
リスク管理の基本は「最悪を想定し、優先順位(トリアージ)を判断して、取り返しのつかないリスクを回避すること」であり、準備したことが取越し苦労(空振り)に終わったら”よかったね”という世界である。 
クイーンエリザベス号への支援を自衛隊に依頼したとき、彼らはリスク管理の訓練が身についているので防護服に身を包んで行動したが、厚労省関連者は平時の服装で往来していて(感染した)とある番組で聞いたが、非常時での常識を持たない組織ならありそうなことだ。
アメリカ感染症研究所のファウチ所長は「大げさくらいでちょうどいい」といったが、いたずらに不安を煽るからといって事実を開示せず、それが元で対策が後手後手にまわる政府の見識のなさ(野党も同様か)で国民の犠牲(最悪感染死)を増やさないことを願っている。 
                                                                           

   上記から導かれること  
オリンピック、パラリンピックを目標に切磋琢磨してきた選手やその関係者にはお気の毒だが、予定通りに開催できるハズがないというのが常識的な結論ではないか。
経済的には大打撃だが、強引に開催へと中央突破したら、日本だけでなく世界的なクラスター感染をみすみすわかっていながらやったのかと医学的・人道的非難を免れまい。                                                                                                                                  

   損得のものさしからやさしさのものさしへ 
渋沢栄一は「論語と算盤」を拠り所として事業を進めたと述べているが、オリンピック・パラリンピックという平和やある程度のゆとりある社会を前提としたとしたスポーツとそのビジネスよりも新型コロナウイルス感染症の死者が6,000人を超えた現実とそこから想像できる弱者、貧困社会に向けて人として当たり前の優しさを優先するものさしを持つことが必要ではないだろうか。間違った踏み絵をして、取り返しのつかない後悔をしないよう望みたい。
           
 原点に帰れ
何十年も前に、父が私に瀬島龍三の講演カセットテープを渡してくれた。
青春を第2次大戦時に過ごした父にとって、陸軍参謀、シベリア抑留、伊藤忠商事会長という経歴を持った人の話に、感じるところが多かったと思う。
印象に残るのが、
先が見えない、そんなときこそ原点に帰ることだ。原点とは、守るべきを守り、攻めるべきを攻めることだ
という、戦略家に共通するキホン的な考え方を強調したところである。
政府もコップの中の嵐のような小さな議論に時間を割かず、瀬島龍三ならこの一点を死守したに違いないという原点をどっしりと示していただきたい。                                                        令和2年3月16日         


2019年11月06日

地域のボランティア活動 (その3:お祭準備と台風19号)

全国に広く被害をもたらした台風19号が東海地方から遠ざかり、晴れ上がった
10月13日 日曜日の朝7時15分、知多市「尾張八幡神社」境内に、着飾った「屋形」と花車の2台が整列し、神事を司る役員らに「第10組 杉山ただいま到着しました」と大声で報告し、班長さんたちと正面の祭壇に深々と頭を下げて、当日の行事が始まった。             
大勢の方の支援のおかげで、やれやれ何とかなったという安堵の瞬間であった。             
 
台風19号は死者90名、行方不明5名、71河川・135ヶ所で堤防が決壊するという広範囲に大被害をもたらした。千葉県などではその前の台風15号の被害が大きかったため、台風19号については早くから警戒情報が出されていた。
そんな中、祭礼の3日前、10月10日木曜日の夕方、屋形を納めてある地元「皇后社」を守る町内の先輩が、台風接近の中どうやって準備するのか心配して私の家まで相談に来られた。  
パレード車に使うレンタカーは祭り前日、台風最接近の12日土曜日の朝しか来ない。
これまで、皇后社に納まっている「屋形」は町内の宝物であり、代々大切にして、雨に濡れたり、粗相して金の塗装が剥げたりしないよう大切に護っては、お祭りの晴れ舞台で披露してきた。
まず、皇后社の石段を上りきった境内の倉庫にある「屋形」を祭礼2日前の11日早朝に町内の世話役さんの倉庫に移動することにした。雨の中では石段の上り下りは危険だからである。
班長に召集をかけたが平日の朝の出勤時とあって大方出払っており、皇后社の上から重い「屋形」を降ろすときだけ出勤前の”若い”班長2名を頼り、後の仕事は平均年齢70歳を越える8名でこなした。軽トラックの荷台の上に「屋形」の「架台」を積み、さらに「屋形」をその上に据え付けると高さは3メートルを超え収納に難儀したが何とか納まった。             
 
そして幸いなことに、パレード車2台を収納できる町内の大きな倉庫を所有する工場が操業を早めに切り上げてもらえたので11日の夕方早くから倉庫を借りることができた。
子供会や班長さんたちが何日もかけて準備した紙花飾りや地元中学美術部が制作したパレード用の飾り絵などを倉庫に運び込み、祭り前々日にはあらかたの準備を終えることができたのである。            
 
祭り前日12日、土曜日の朝9時、ほぼ班長全員と花車の飾り付けに詳しい先輩方も倉庫に集合した。到着したレンタカー2台に「屋形」や紙花飾りなどを装着し終えるのに2時間もかからなかった。土曜日の朝方は、雨は多かったものの傘が使えないほどの強風はなく、班長さんたちの行き来に危険が及ばなくてラッキーだった。
そして、冒頭の当日集合に間に合ったのである。     
祭礼パレードに間に合う準備ができたのは、金曜日朝、夕の先輩方を中心とする頑張りと、土曜日朝方から大勢で準備に集中できたためである。         
 
祭礼が無事に終わって感じたことが二つある。         
一つは  
安全は最優先ながら、主催側から”中止”の場合の説明をついぞ聞かなかったのはなぜか。
祭礼は「神事」であり、主催者の宮司さんや神社総代たちにとっては、昔から神様と約束した行事は省略できず、たとえ悪天候であろうと成し遂げなければならない・・             
と考えているからではないか。     
この伝統を守る信念を尊重する一方で、少子高齢化が進む中で祭礼を継続していくためには、逆に柔軟に何を省き、どう変えていくのかも考えていかねばなるまい。     
二つ目は、何としても「屋形」を護り、かつ祭礼時には「日の目を見る」ように頑張る先輩方の強い想いである。「屋形」に限らず、大小の小道具などを何度も石段を往復して運んだ先輩方には、道元禅師の『典座教訓』にあるエピソードを連想させた。     
 
       *  *  *  *  *  *  *      
 
中国に留学中、道元禅師が寺の廊下を歩いていたとき、暑い中、老僧が庭でキノコを干していた。道元禅師は、あまりに大変そうなので、「誰かに手伝わせてはいかがか」と話しかけた。それに対し老僧は「他はこれ吾にあらず」  
(誰かにやってもらったのでは、自分でしたことにはならんからのぉ)と答えます。             
 
さらに道元禅師が、「もう少し涼しい時に仕事をされては」と言うと、
老僧の答えは、「更に何れの時をか待たん」(今でしょ!)というものでした。  
ちなみに、背中は曲がり、眉が真っ白なその老僧は私と同じ68歳でした。
 
以上、あらまほしき”先達”の指導と大勢の方々の協力に改めて感謝する次第です。
 
さて、祭礼の後片付けも終わったとき、別の『ある事』については次のブログで紹介することにします。  
 


2019年05月28日

地域のボランティア活動 (その2:消防操法大会)

5月なのに30度を超える真夏日が続いた暑い日曜日、町内のクリーン作戦で1時間の清掃活動を終えてから知多市緑広場グラウンドに組長も駆けつけた。   
「第51回知多市消防団消防操法大会」が開催され、消防関係者はもとより、衆議院議員をはじめとする来賓の方々もお見えになって、知多市消防団の第1分団から第5分団までの5チームが、ポンプ車操法でのスピードや技術、規律を競うという真剣勝負が繰り広げられた。 
このグラウンドは野球場があり、サッカーなら2面できそうな広さで、敷地を囲う樹木が低く見えるほど露出した空の比率は95%くらいになるだろうか、その炎天下で、長袖、長ズボン、ヘルメットを着用した選手や審判員たちが熱射病になりはしないかと心配になる状況下で大会競技は進行した。
日頃の鍛錬を通してチームの協調性やスキルが試されるのだが、優勝した分団は「愛知県消防操法大会」に代表選手として参加する。これまでも6回の優勝と輝かしい成績を収めている。
いざという緊急事態に地域住民の命を守るには、この大会に向けたような努力やチームワークが不可欠であり、地元の消防団が頼もしいのは、大変ありがたいことである。       
       
さて、白いテントの中で観戦しながら、私は半世紀ほど前の消防団の記憶をたどっていた。     
       
トンネル窯などを有する企業は自前の消防団を持つ必要があり、就職した新入社員には、必然的に消防団に入って、仕事同様、あるいはそれ以上の訓練が待っていた・・・。 
火を使うやきものの町常滑は自社のみならず、行政と協力して近隣の防災活動に会社の「消防団」は率先して参加するため、終業後に行う月数回の訓練は本格的であった。 
当時の私(たち)は、70年安保やベトナム反戦活動に敏感な「戦争を知らない子供たち」であり、行進の際に「かしらー中」などと言われても素直になれなかった年代である。       
「あごひもーかけ」と言われながら被ったヘルメットの上から拳を作って軽くコンコンと叩いたのは本社の○○部長だったが、余程たるんだ新入社員に見えたのだろう。   
今、目の前で観ている操法と、当時も基本は同じで、1番員、2番員としてよく走ったが
『カテンハゼンポウアカハタ、テビロメニヨルダイイッセンエンチョウジョウシャ!』 
などの掛け声の意味も実は分かっていなかった。   
そのころ流行ったガロの”学生街の喫茶店”のメロディが心に沁みた若い頃のはなしである。


2018年10月04日

最適な自動配車のプログラムと最近のAIについて

”AIが使えたら苦労しなかったのではないか・・・”
と思えるシステムを無理やり作ったことがあった。
30年ほど前、バブル絶頂期だったろうか、情報システム部門に所属していたとき、物流部から、荷物をどのトラックに最適に載せるかという「自動配車」のシステムを完成させるように言われた。                                                        
当時、荷受待ちのトラックが物流センターから溢れ、まわりの道路をぐるりと囲む中、運転手の待ち時間をなくし、一刻も早く、最適な荷配りをすることは喫緊の課題だった。
例えば、4トントラックの荷台に、浴槽ばかり積めば、重量を余して満杯になり、反対に重いタイルばかりを積めば空間を余して荷重が4トンになってしまう。
また、荷降ろしに応対するお客様からみれば、できるだけ1台のトラックでまとめて受け取りたいし、運転手は、できるだけ少ない店を回って荷降ろしを完了したい。
また、A店とB店は仲が悪いので、同じトラックに荷物を載せないでほしい・・・。     
といったわがままな条件も織り込んで「最適な自動配車」のプログラムを組まなければならなかった。
こういった問題を解決するのに「オペレーションズリサーチ」が役に立つかもしれないと高価な専門書を自腹で買って、穴の開くほど読んでみたものの、こういった泥臭い実務問題には向かなかった。                                                           
幸い「1㎥=0.38t」と容積を重量換算できたので、実重をX軸、容積重量をY軸とし、荷物1個1個を”(x、y)の位置ベクトル”で表わし、その合成モデル化、トラックに積む順序を小さい順や大きい順、その組み合わせ順で、コンピュータの中で何通りもシミュレーションさせて、条件を満たした中から、評点の高いもの(効率よく積んだものなど)を正解とすることで何とか形になった。
一緒に夜中まで付き合ってもらったチームメンバーの力添えあってこそだが、なにせ開発納期が短く、寝る間も惜しんだ体力勝負の中、80点の提案ができれば、あとは人間が補正することでその時は間に合わせた。一から作ることに比べれば圧倒的に早く配車ができ、運転手の待ち時間を何とか減らすことができた。
これを事務計算が得意な「COBOL」言語で組んだので、”良く作ったな”というのが今の感想である。
現在なら、ベテランの積荷(とヘタクソな積荷)のデータを学習させておけば、AIが素晴らしい解答を導き出したかもしれないし、今の運送業界ではいろいろな実用化がされていよう。さらに、帰り便の効率まで考え、ネットワークやクラウドも駆使しながら、複数の会社にまたがった最適な「自動配車」も整備されているのではないかと想像する次第です。
 
蛇足ながら、正月休みも返上してテストしていた頃、物流部の責任者がフラッと来て、どんな様子か尋ねたときに、私は自信無げにつぶやいたらしく、後々になって、それを諌められた。
言われたときの彼の気持ちを考えると、技術屋は最後の最後の結論が確定するまで、ネガティブに弱音を吐くことは厳に慎まねばならないと今もって思い返すのであります・・・。
 


2018年07月12日

統計解析とAI ~画像認識による自動検査への活用~

AI(人工機能)が社会を変える、専門家の職業にAIが取って替わる時代が近いなど AIの話題には事欠かない。
全自動洗濯機やロボットがロボットを作っているうちは通常の科学や技術の進歩として、さほど驚くには当たらないが、車の自動運転や医者の替わりをするとなるとこれは革命である。  
                                                                      
AI(人工知能)の特性は、
(1)人間の脳を研究したモデルから、ニューラルネットワーク・ディープラーニングといって、学習をしながら賢く進化していくAIと、
(2)機械学習といって、あくまで大量データに統計的判断を行って区分けしたり、確率的な判断をさせる特徴をもったAI
の大きく2つに分かれる。

(2)については、統計解析を仕事の中で活用したことがあったので、この領域なら理解できるかもしれない。  
 
統計解析のひとつである「判別分析」の活用例として、 
・これまで全国に49店のスーパーを出店した。 
・出店の業績(成功か失敗)をyとして、出店先の人口、交通量、所得水準、公園の面積などを(x1、x2、x3、・・)とすると、y=f(x1、x2、x3、・・)という関係式が49組できる。
・x1、x2、・・は客観的に獲得できる情報であり、独立変数と呼ばれる。
・これに対し、yは結果であり、失敗して撤退することがあれば、高い授業料を払ったことを意味し、従属変数と呼ばれる。
・この49組の実績データから(x1、x2、・・)がどういうときにyの成功する確率が高くなるかを表す「判別式(関数)」を作る。 
・その後、新たな50番目の出店として、A,B,Cの候補地があったときにそれぞれの人口や交通量などのx値を「判別関数」にかけてyの値を求めると、どの店の成功確率が高いかがわかり、経験と勘を数値に置き換えて意思決定できるという仕掛けである。
                                                                                                                                                                            
また、「クラスター分析」と言う統計解析では、 
クラスターとは、群、塊り、集合体と言う意味であるが、データのグループ分けをグループの重心と各点との距離から、クラスターに分ける手法である。
例えば人間の顔の画像データをインプットすると、目か鼻かなどデジタルデータを区分けした集合体として認識できる。
 
猫の写真を何枚も撮って、これが「猫」だとコンピュータに教えておいたときに別の写真を見せて「猫」かどうか判定する場合はこうした分析手法やさらに「因子分析」によって、「固有値」を算出するというコンピュータが得意の領域がある。
 
AIのプログラムを組むことは私にはできないが、
「猫」を”製品"に、「他の動物写真」を"異品(不良品)”と置き換えると画像認識による異品の検査ができる。原理が同じなら、活用してみたいと思う。 
前提条件として、画像認識するためのパッキンなどの製品が、カメラの下に1個づつ行儀よく並ぶかどうかが問題であるが・・・。


2018年04月05日

旨いお蕎麦やさんを探して

旨い蕎麦を食べたいというこだわりが強くなったのはいつごろからだろうか。 
きっかけは本からかもしれない。 
二十歳の頃、東京の下宿でごろごろしながら、夏目漱石の「我輩は猫である」を読んでいたら、主人の苦沙弥(くしゃみ)氏の友人、迷亭(めいてい)先生が蕎麦を食べるシーンがあって、矢も盾もたまらず近くの「やぶ」そばの店に駆け込んだこともあった。       
 
子供たちがまだ小学生だった頃、車で比叡山に家族で出かけ、帰りしな坂本にある「鶴喜」という店を見つけ、寒い時期だったので、温かいかけ蕎麦を食べたがめっぽう旨かった。
その後、偶然にも、司馬遼太郎の「街道を行く(叡山の諸道)」を読んだら「日吉」や「鶴喜」の店が紹介されてあり、おいしい記憶が増幅された。   
木曽福島の「車屋」にも若いときと、最近も出かけたが昔のほうが旨かったような気がする。   
職場が霞ヶ関ビルだったときは昼休みに、西新橋に近い
「虎ノ門大坂屋砂場(とらのもんおおさかやすなば)」にも時々通った。
青物横丁に住んでいたときは、京急立会川にあり、坂本竜馬も食べた?という「吉田家」に、ひとりで、また友人を誘って出かけた。      
東京にはおいしいお蕎麦屋さんがたくさんあり、神楽坂の本通りから裏道に入ると小粋な店があったりというように、藪、更科、砂場・・それぞれ探せばきりがない。 
 
地元に帰ってからも、旨い蕎麦の店を探したが、山本屋の味噌煮こみ、岡崎の釜春本店などうどんにも力が入っているせいか、満足のいく店に出会わなかった。
名駅や栄ビル街にあるテナントの店でも これぞ!とはいかなかったが、鶴舞近くの「春風荘」を見つけ、ここに落ち着いた。蕎麦のコシもつゆの甘辛さも天婦羅、ダシ玉子なども大満足である。
もう少し季節が進むと、昼神温泉の花もも街道が絢爛の美しさを迎える。    
偶々入った蕎麦屋さんで、畳敷きの部屋から眺めた紅白の花ももの美しさと蕎麦のコラボがたまらなかった。    
麺類には目がないという孫も誘ってぜひまた行ってみたいと思っている。    

 


2018年01月24日

マナーの基本は健康から ~風邪に負けない体力を~

ここ数年、年末年始にかけて、風邪でダウンするようになった。
昨年は、年末まであと2週間というときに風邪を引いて、会社にはだましだまし出勤したが、正月明けまで長引いた。
1年の疲れが出たかもしれないが、年齢による免疫力の低下がいちばん思い当たる。
そんな中、楽しみにしていた12月23日(祝日の土曜日)に銀座で行われる大学のクラス会を直前になって欠席の連絡を入れた。
このクラスには特別な思い入れがあった・・・。

わたしが入学した1969年(昭和44年)は、70年安保絡みで大学入試が中止になるほどの波乱の年で、入学式も4月遅くに行われた。
10月21日に佐藤首相が訪米すると、急に学生運動がしぼんでいって、晩秋になってまともな授業が始まった。
入学後半年間は、クラス討論会があったり、時間もたっぷりあったせいか、クラス単位のまとまりが強く、卒業後も幹事さんの面倒見が良くて、半世紀近く経った今も交流が続いている。――― その貴重な機会を不覚にも逃した。
また、仕事でも、こちらからお願いしたアポをキャンセルすることになった。

新入社員の頃、健康管理をして約束や納期を守ることがビジネスマナーの基本であることを教わったが、このまま『成り行き』任せでは体力は衰える一方だから、新しいことにも挑戦して流れを変えなければならない。

名古屋という場所はついつい車を使うので、万歩計はせいぜい3,000歩止まり、
どこか変えられるところはないかと意識して探し出し、PDCAを回すようにしよう。
玄米や大嫌いな納豆なども工夫すれば食べられるかもしれないし、週1回のテニス以外にも、もっと歩いたり、ヨガ体操も試してみよう。
さしあたって、地元を活かした「知多四国」巡りは、納経帳に記録も残り、こころにもよさそうなので、できるだけ週末の予定に入れようとかと思っています。

まわりでは、風邪もインフルエンザも流行っています。
皆様も油断せず、日頃から健康によいことを続けて、元気にお過ごしください。

 


2017年12月14日

希望ナンバープレートの市場規模を推測する

朝晩それぞれ1時間かけて車通勤している。
知多市の産業道路を北上し、23号線、1号線を走って会社に到着する。
往きは大体CBCラジオ "朝からPON"を聴きながら、渋滞と退屈に耐えているのだが退屈紛れに車のナンバープレートを眺めていると、日付のナンバー
 ・1-01から12-31が目立って多いような気がしたので、ちょっと以下のような推測を試みた。
ナンバーは0001から9999の9999通りであるが、計算上は0000もあることにして、1万個とする。
2月29日(0229)は除くとすると、日付ナンバーは365個あるから 
365÷10,000=0.0365。
逆数は27.4になるので、確率上、日付ナンバーの平均台数は27台に1台
となるが、信号待ちや追い越していく車のナンバーを観察して、日付ナンバーと総台数をざっとカウントしてみると、
仮説:『少なくとも10台に1台は日付ナンバーである』
といえるのではないか。

統計学の世界からもう少し慎重に見直すと
(1) 全国で走っている何千万台の車を「母集団」としたとき
(2) 私がカウントしている通勤路(標本空間)は偏りなく「母集団」を反映している
  といいきってよいだろうか?

私は行き帰りともほぼ同じ時間帯で同じ道を走っている。共に走っている常連の仲間もいるだろう。通勤時間帯に通勤する車が、知多市と名古屋市中川区の
間を行き来し、主婦やレジャー目的の車はほとんど走っていない状況なので、サンプリング上、多少偏っているかもしれないが、
(退屈しのぎのはなしなので)あまり気にしないで、仮説をやや緩めて13台に1台が日付ナンバーだとしよう。
1年間に300万台がナンバー登録するとしたら、
300万台×(1/13-1/27)=119,658台は、意図的に希望して日付ナンバーを取得したことになる。
1台につき5千円を加算して払うとすれば、希望ナンバービジネスは約6億円/年 の市場になるのだろうか。
日付の他に、1桁の数字や7777などのゾロ目は抽選取得になるほど人気が高いらしく、縁起の悪いナンバーを変えたいという人もいるだろうから、それらを加味すると、市場規模金額はもっと高くなるのかもしれない。
情報システムの開発費用を除けば、おいしいビジネスになるわけで、ものづくり製造業者からみると少しうらやましい・・・。

・・・・・というようなことを思いながらハンドルを握っていたことがあります。いつか大きな駐車場で検証してみましょう。

関心の分野が違う人にとっては、理屈っぽくて面白くも何ともない内容でした。
悪しからず・・・。


 




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