2019年05月28日

地域のボランティア活動 (その2:消防操法大会)

5月なのに30度を超える真夏日が続いた暑い日曜日、町内のクリーン作戦で1時間の清掃活動を終えてから知多市緑広場グラウンドに組長も駆けつけた。   
「第51回知多市消防団消防操法大会」が開催され、消防関係者はもとより、衆議院議員をはじめとする来賓の方々もお見えになって、知多市消防団の第1分団から第5分団までの5チームが、ポンプ車操法でのスピードや技術、規律を競うという真剣勝負が繰り広げられた。 
このグラウンドは野球場があり、サッカーなら2面できそうな広さで、敷地を囲う樹木が低く見えるほど露出した空の比率は95%くらいになるだろうか、その炎天下で、長袖、長ズボン、ヘルメットを着用した選手や審判員たちが熱射病になりはしないかと心配になる状況下で大会競技は進行した。
日頃の鍛錬を通してチームの協調性やスキルが試されるのだが、優勝した分団は「愛知県消防操法大会」に代表選手として参加する。これまでも6回の優勝と輝かしい成績を収めている。
いざという緊急事態に地域住民の命を守るには、この大会に向けたような努力やチームワークが不可欠であり、地元の消防団が頼もしいのは、大変ありがたいことである。       
       
さて、白いテントの中で観戦しながら、私は半世紀ほど前の消防団の記憶をたどっていた。     
       
トンネル窯などを有する企業は自前の消防団を持つ必要があり、就職した新入社員には、必然的に消防団に入って、仕事同様、あるいはそれ以上の訓練が待っていた・・・。 
火を使うやきものの町常滑は自社のみならず、行政と協力して近隣の防災活動に会社の「消防団」は率先して参加するため、終業後に行う月数回の訓練は本格的であった。 
当時の私(たち)は、70年安保やベトナム反戦活動に敏感な「戦争を知らない子供たち」であり、行進の際に「かしらー中」などと言われても素直になれなかった年代である。       
「あごひもーかけ」と言われながら被ったヘルメットの上から拳を作って軽くコンコンと叩いたのは本社の○○部長だったが、余程たるんだ新入社員に見えたのだろう。   
今、目の前で観ている操法と、当時も基本は同じで、1番員、2番員としてよく走ったが
『カテンハゼンポウアカハタ、テビロメニヨルダイイッセンエンチョウジョウシャ!』 
などの掛け声の意味も実は分かっていなかった。   
そのころ流行ったガロの”学生街の喫茶店”のメロディが心に沁みた若い頃のはなしである。




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