2019年11月06日

地域のボランティア活動 (その3:お祭準備と台風19号)

  全国に広く被害をもたらした台風19号が東海地方から遠ざかり、晴れ上がった    
  10月13日 日曜日の朝7時15分、知多市の「尾張八幡神社」境内に、着飾った「屋形」と  
  花車の2台が整列し、神事を司る役員らに「第10組 杉山ただいま到着しました」と  
  大声で報告し、班長さんたちと正面の祭壇に深々と頭を下げて、当日の行事が始まった。  
  大勢の方の支援のおかげで、やれやれ何とかなったという安堵の瞬間であった。  
                   
  台風19号は死者90名、行方不明5名、71河川・135ヶ所で堤防が決壊するという広範囲に  
  大被害をもたらした。千葉県などではその前の台風15号の被害が大きかったため、  
  台風19号については早くから警戒情報が出されていた。そんな中、      
  祭礼の3日前、10月10日木曜日の夕方、屋形を納めてある地元「皇后社」を守る町内の  
  先輩が、台風接近の中、どうやって準備するのか心配して私の家まで相談に来られた。    
  パレード車に使う2台はレンタカーで祭り前日、台風最接近の12日土曜日の朝しか来ない。
                   
  これまで、皇后社に納まっている「屋形」は町内の宝物であり、代々大切にして、雨に
  濡れたり、粗相して金の塗装が剥げたりしないように大切に護っては、お祭りの晴れ舞台
  で披露してきた。
まず、皇后社の石段を上りきった境内の倉庫にある「屋形」を祭礼2日前の11日早朝
 
  町内の世話役さんの倉庫に移動することにした。雨の中では石段の上り下りは    
  危険だからである。班長に召集をかけたが平日の朝の出勤時とあって大方出払っており、  
  皇后社の上から重い「屋形」を降ろすときだけ出勤前の”若い”班長2名を頼り、後の  
  仕事は平均年齢70歳を越える8名でこなした。軽トラックの荷台の上に「屋形」の  
  「架台」を積み、さらに「屋形」をその上に据え付けると高さは3メートルを超え収納に
  難儀したが何とか納まった。                
  そして幸いなことに、パレード車2台を収納できる町内の大きな倉庫を所有する工場が
  操業を早めに切り上げてもらえたので11日の夕方早くから倉庫を借りることができた。  
  子供会や班長さんたちが何日もかけて準備した紙花飾りや地元中学美術部が制作した  
  パレード用の飾り絵などを倉庫に運び込み、祭り前々日にはあらかたの準備を終える
  ことができたのである。              
  祭り前日12日、土曜日の朝9時、ほぼ班長全員と花車の飾り付けに詳しい  
  先輩方も倉庫に集合した。到着したレンタカー2台に「屋形」や紙花飾りなどを装着し
  終えるのに2時間もかからなかった。土曜日の朝方は、雨は多かったものの傘が使え
  ないほどの強風はなく、班長さんたちの行き来に危険が及ばなくてラッキーだった。      
  そして、冒頭の当日集合に間に合ったのである。        
  祭礼パレードに間に合う準備ができたのは、金曜日朝、夕の先輩方を中心とする  
  頑張りと、土曜日朝方から大勢で準備に集中できたためである。        
                   
  祭礼が無事に終わって感じたことが二つある。        
  一つは                
  安全は最優先ながら、主催側から”中止”の場合の説明をついぞ聞かなかったのはなぜか。
  祭礼は「神事」であり、主催者の宮司さんや神社総代たちにとっては、昔から神様と
  約束した行事は省略できず、たとえ悪天候であろうと成し遂げなければならない・・    
  と考えているからではないか。          
  この伝統を守る信念を尊重する一方で、少子高齢化が進む中で祭礼を継続していく
  ためには、逆に柔軟に何を省き、どう変えていくのかも考えていかねばなるまい。  
                   
  二つ目は、何としても「屋形」を護り、かつ祭礼時には「日の目を見る」ように頑張る
  先輩方の強い想いである。「屋形」に限らず、大小の小道具などを何度も石段を往復
  して運んだ先輩方には、道元禅師の『典座教訓』にあるエピソードを連想させた。    
         *  *  *  *  *  *  *                
  中国に留学中、道元禅師が寺の廊下を歩いていたとき、暑い中、老僧が庭でキノコを  
  干していた。道元禅師は、あまりに大変そうなので、「誰かに手伝わせてはいかがか」と
  話しかけた。それに対し老僧は「他はこれ吾にあらず」          
  (誰かにやってもらったのでは、自分でしたことにはならんからのぉ)と答えます。    
  さらに道元禅師が、「もう少し涼しい時に仕事をされては」と言うと、      
  老僧の答えは、「更に何れの時をか待たん」(今でしょ!)というものでした。    
  ちなみに、背中は曲がり、眉が真っ白なその老僧は私と同じ68歳でした。
 
   
  以上、あらまほしき”先達”の指導と大勢の方々のご協力に改めて感謝する次第です。

さて、祭礼の後片付けも終わったとき、別の『ある事』については次のブログで紹介する
ことにします。
       


2019年05月28日

地域のボランティア活動 (その2:消防操法大会)

5月なのに30度を超える真夏日が続いた暑い日曜日、町内のクリーン作戦で1時間の清掃活動を終えてから知多市緑広場グラウンドに組長も駆けつけた。   
「第51回知多市消防団消防操法大会」が開催され、消防関係者はもとより、衆議院議員をはじめとする来賓の方々もお見えになって、知多市消防団の第1分団から第5分団までの5チームが、ポンプ車操法でのスピードや技術、規律を競うという真剣勝負が繰り広げられた。 
このグラウンドは野球場があり、サッカーなら2面できそうな広さで、敷地を囲う樹木が低く見えるほど露出した空の比率は95%くらいになるだろうか、その炎天下で、長袖、長ズボン、ヘルメットを着用した選手や審判員たちが熱射病になりはしないかと心配になる状況下で大会競技は進行した。
日頃の鍛錬を通してチームの協調性やスキルが試されるのだが、優勝した分団は「愛知県消防操法大会」に代表選手として参加する。これまでも6回の優勝と輝かしい成績を収めている。
いざという緊急事態に地域住民の命を守るには、この大会に向けたような努力やチームワークが不可欠であり、地元の消防団が頼もしいのは、大変ありがたいことである。       
       
さて、白いテントの中で観戦しながら、私は半世紀ほど前の消防団の記憶をたどっていた。     
       
トンネル窯などを有する企業は自前の消防団を持つ必要があり、就職した新入社員には、必然的に消防団に入って、仕事同様、あるいはそれ以上の訓練が待っていた・・・。 
火を使うやきものの町常滑は自社のみならず、行政と協力して近隣の防災活動に会社の「消防団」は率先して参加するため、終業後に行う月数回の訓練は本格的であった。 
当時の私(たち)は、70年安保やベトナム反戦活動に敏感な「戦争を知らない子供たち」であり、行進の際に「かしらー中」などと言われても素直になれなかった年代である。       
「あごひもーかけ」と言われながら被ったヘルメットの上から拳を作って軽くコンコンと叩いたのは本社の○○部長だったが、余程たるんだ新入社員に見えたのだろう。   
今、目の前で観ている操法と、当時も基本は同じで、1番員、2番員としてよく走ったが
『カテンハゼンポウアカハタ、テビロメニヨルダイイッセンエンチョウジョウシャ!』 
などの掛け声の意味も実は分かっていなかった。   
そのころ流行ったガロの”学生街の喫茶店”のメロディが心に沁みた若い頃のはなしである。


2018年10月04日

最適な自動配車のプログラムと最近のAIについて

”AIが使えたら苦労しなかったのではないか・・・”
と思えるシステムを無理やり作ったことがあった。
30年ほど前、バブル絶頂期だったろうか、情報システム部門に所属していたとき、物流部から、荷物をどのトラックに最適に載せるかという「自動配車」のシステムを完成させるように言われた。                                                        
当時、荷受待ちのトラックが物流センターから溢れ、まわりの道路をぐるりと囲む中、運転手の待ち時間をなくし、一刻も早く、最適な荷配りをすることは喫緊の課題だった。
例えば、4トントラックの荷台に、浴槽ばかり積めば、重量を余して満杯になり、反対に重いタイルばかりを積めば空間を余して荷重が4トンになってしまう。
また、荷降ろしに応対するお客様からみれば、できるだけ1台のトラックでまとめて受け取りたいし、運転手は、できるだけ少ない店を回って荷降ろしを完了したい。
また、A店とB店は仲が悪いので、同じトラックに荷物を載せないでほしい・・・。     
といったわがままな条件も織り込んで「最適な自動配車」のプログラムを組まなければならなかった。
こういった問題を解決するのに「オペレーションズリサーチ」が役に立つかもしれないと高価な専門書を自腹で買って、穴の開くほど読んでみたものの、こういった泥臭い実務問題には向かなかった。                                                           
幸い「1㎥=0.38t」と容積を重量換算できたので、実重をX軸、容積重量をY軸とし、荷物1個1個を”(x、y)の位置ベクトル”で表わし、その合成モデル化、トラックに積む順序を小さい順や大きい順、その組み合わせ順で、コンピュータの中で何通りもシミュレーションさせて、条件を満たした中から、評点の高いもの(効率よく積んだものなど)を正解とすることで何とか形になった。
一緒に夜中まで付き合ってもらったチームメンバーの力添えあってこそだが、なにせ開発納期が短く、寝る間も惜しんだ体力勝負の中、80点の提案ができれば、あとは人間が補正することでその時は間に合わせた。一から作ることに比べれば圧倒的に早く配車ができ、運転手の待ち時間を何とか減らすことができた。
これを事務計算が得意な「COBOL」言語で組んだので、”良く作ったな”というのが今の感想である。
現在なら、ベテランの積荷(とヘタクソな積荷)のデータを学習させておけば、AIが素晴らしい解答を導き出したかもしれないし、今の運送業界ではいろいろな実用化がされていよう。さらに、帰り便の効率まで考え、ネットワークやクラウドも駆使しながら、複数の会社にまたがった最適な「自動配車」も整備されているのではないかと想像する次第です。
 
蛇足ながら、正月休みも返上してテストしていた頃、物流部の責任者がフラッと来て、どんな様子か尋ねたときに、私は自信無げにつぶやいたらしく、後々になって、それを諌められた。
言われたときの彼の気持ちを考えると、技術屋は最後の最後の結論が確定するまで、ネガティブに弱音を吐くことは厳に慎まねばならないと今もって思い返すのであります・・・。
 


2018年07月12日

統計解析とAI ~画像認識による自動検査への活用~

AI(人工機能)が社会を変える、専門家の職業にAIが取って替わる時代が近いなど
AIの話題には事欠かない。                                                                                  
                                                                                                 
全自動洗濯機やロボットがロボットを作っているうちは通常の科学や技術の進歩として、さほど驚くには当たらないが、車の自動運転や医者の替わりをするとなるとこれは革命である。   
                                                                      
AI(人工知能)の特性は、
(1)人間の脳を研究したモデルから、ニューラルネットワーク・ディープラーニングといって、学習をしながら賢く進化していくAIと、                                                   
(2)機械学習といって、あくまで大量データに統計的判断を行って区分けしたり、確率的な判断をさせる特徴をもったAI                     
の大きく2つに分かれる。

(2)については、統計解析を仕事の中で活用したことがあったので、この領域なら理解できるかもしれない。                                                                              
 
統計解析のひとつである「判別分析」の活用例として、                                                    
・これまで全国に49店のスーパーを出店した。                                                                
・出店の業績(成功か失敗)をyとして、出店先の人口、交通量、所得水準、公園の面積などを(x1、x2、x3、・・)とすると、y=f(x1、x2、x3、・・)という関係式が49組できる。
・x1、x2、・・は客観的に獲得できる情報であり、独立変数と呼ばれる。
・これに対し、yは結果であり、失敗して撤退することがあれば、高い授業料を払ったことを意味し、従属変数と呼ばれる。   
・この49組の実績データから(x1、x2、・・)がどういうときにyの成功する確率が高くなるかを表す「判別式(関数)」を作る。                                                                                 
・その後、新たな50番目の出店として、A,B,Cの候補地があったときにそれぞれの人口や交通量などのx値を「判別関数」にかけてyの値を求めると、どの店の成功確率が高いかがわかり、経験と勘を数値に置き換えて意思決定できるという仕掛けである。 
                                                                                                                                                                            
また、「クラスター分析」と言う統計解析では、                                             
クラスターとは、群、塊り、集合体と言う意味であるが、データのグループ分けをグループの重心と各点との距離から、クラスターに分ける手法である。 
例えば人間の顔の画像データをインプットすると、目か鼻かなどデジタルデータを区分けした集合体として認識できる。                                                                     
 
猫の写真を何枚も撮って、これが「猫」だとコンピュータに教えておいたときに別の写真を見せて「猫」かどうか判定する場合はこうした分析手法やさらに「因子分析」によって、「固有値」を算出するというコンピュータが得意の領域がある。  
 
AIのプログラムを組むことは私にはできないが、 
「猫」を”製品"に、「他の動物写真」を"異品(不良品)”と置き換えると画像認識による異品の検査ができる。原理が同じなら、活用してみたいと思う。                         
前提条件として、画像認識するためのパッキンなどの製品が、カメラの下に1個づつ行儀よく並ぶかどうかが問題であるが・・・。          


2018年04月05日

旨いお蕎麦やさんを探して

  旨い蕎麦を食べたいというこだわりが強くなったのはいつごろからだろうか。  
                 
  きっかけは本からかもしれない。          
  二十歳の頃、東京の下宿でごろごろしながら、夏目漱石の「我輩は猫である」  
  を読んでいたら、主人の苦沙弥(くしゃみ)氏の友人、迷亭(めいてい)先生  
  が蕎麦を食べるシーンがあって、矢も盾もたまらず近くの「やぶ」そばの店に  
  駆け込んだこともあった。          
                 
  子供たちがまだ小学生だった頃、車で比叡山に家族で出かけ、帰りしな    
  坂本にある「鶴喜」という店を見つけ、寒い時期だったので、温かい    
  かけ蕎麦を食べたがめっぽう旨かった。        
  その後、偶然にも、司馬遼太郎の「街道を行く(叡山の諸道)」を読んだら  
  「日吉」や「鶴喜」の店が紹介されてあり、おいしい記憶が増幅された。  
  木曽福島の「車屋」にも若いときと、最近も出かけたが昔のほうが旨かった  
  ような気がする。            
                 
  職場が霞ヶ関ビルだったときは昼休みに、西新橋に近い      
  「虎ノ門大坂屋砂場(とらのもんおおさかやすなば)」にも時々通った。
青物横丁に住んでいたときは、京急立会川にあり、坂本竜馬も食べた?
という「吉田家」に、ひとりで、また友人を誘って出かけた。
 
  東京にはおいしいお蕎麦屋さんがたくさんあり、神楽坂の本通りから裏道に入ると
  小粋な店があったりというように、藪、更科、砂場・・それぞれ探せばきりがない。  
                 
  地元に帰ってからも、旨い蕎麦の店を探したが、山本屋の味噌煮こみ、岡崎の  
  釜春本店などうどんにも力が入っているせいか、満足のいく店に出会わなかった。
  名駅や栄ビル街にあるテナントの店でも これぞ!とはいかなかったが、  
  鶴舞近くの「春風荘」を見つけ、ここに落ち着いた。蕎麦のコシもつゆの甘辛さも  
  天婦羅、ダシ玉子なども大満足である。        
                 
  もう少し季節が進むと、昼神温泉の花もも街道が絢爛の美しさを迎える。  
  偶々入った蕎麦屋さんで、畳敷きの部屋から眺めた紅白の花ももの美しさと  
  蕎麦のコラボがたまらない。          
  麺類には目がないという孫も誘ってぜひまた行ってみたいと思っている。  


2018年01月24日

マナーの基本は健康から ~風邪に負けない体力を~

ここ数年、年末年始にかけて、風邪でダウンするようになった。
昨年は、年末まであと2週間というときに風邪を引いて、会社にはだましだまし出勤したが、正月明けまで長引いた。
1年の疲れが出たかもしれないが、年齢による免疫力の低下がいちばん思い当たる。
そんな中、楽しみにしていた12月23日(祝日の土曜日)に銀座で行われる大学のクラス会を直前になって欠席の連絡を入れた。
このクラスには特別な思い入れがあった・・・。

わたしが入学した1969年(昭和44年)は、70年安保絡みで大学入試が中止になるほどの波乱の年で、入学式も4月遅くに行われた。
10月21日に佐藤首相が訪米すると、急に学生運動がしぼんでいって、晩秋になってまともな授業が始まった。
入学後半年間は、クラス討論会があったり、時間もたっぷりあったせいか、クラス単位のまとまりが強く、卒業後も幹事さんの面倒見が良くて、半世紀近く経った今も交流が続いている。――― その貴重な機会を不覚にも逃した。
また、仕事でも、こちらからお願いしたアポをキャンセルすることになった。

新入社員の頃、健康管理をして約束や納期を守ることがビジネスマナーの基本であることを教わったが、このまま『成り行き』任せでは体力は衰える一方だから、新しいことにも挑戦して流れを変えなければならない。

名古屋という場所はついつい車を使うので、万歩計はせいぜい3,000歩止まり、
どこか変えられるところはないかと意識して探し出し、PDCAを回すようにしよう。
玄米や大嫌いな納豆なども工夫すれば食べられるかもしれないし、週1回のテニス以外にも、もっと歩いたり、ヨガ体操も試してみよう。
さしあたって、地元を活かした「知多四国」巡りは、納経帳に記録も残り、こころにもよさそうなので、できるだけ週末の予定に入れようとかと思っています。

まわりでは、風邪もインフルエンザも流行っています。
皆様も油断せず、日頃から健康によいことを続けて、元気にお過ごしください。

 


2017年12月14日

希望ナンバープレートの市場規模を推測する

朝晩それぞれ1時間かけて車通勤している。
知多市の産業道路を北上し、23号線、1号線を走って会社に到着する。
往きは大体CBCラジオ "朝からPON"を聴きながら、渋滞と退屈に耐えているのだが
退屈紛れに車のナンバープレートを眺めていると、日付のナンバー ・1-01から
12-31が目立って多いような気がしたので、ちょっと以下のような推測を試みた。
ナンバーは0001から9999の9999通りであるが、計算上は0000もあることに
して、1万個とする。
2月29日(0229)は除くとすると、日付ナンバーは365個あるから 
365÷10,000=0.0365。
逆数は27.4になるので、確率上、日付ナンバーの平均台数は27台に1台
となるが、信号待ちや追い越していく車のナンバーを観察して、日付ナンバー
と総台数をざっとカウントしてみると、
仮説:『少なくとも10台に1台は日付ナンバーである』
といえるのではないか。

統計学の世界からもう少し慎重に見直すと
(1) 全国で走っている何千万台の車を「母集団」としたとき
(2) 私がカウントしている通勤路(標本空間)は偏りなく「母集団」を反映している
  といいきってよいだろうか?

私は行き帰りともほぼ同じ時間帯で同じ道を走っている。共に走っている常連
の仲間もいるだろう。通勤時間帯に通勤する車が、知多市と名古屋市中川区の
間を行き来し、主婦やレジャー目的の車はほとんど走っていない状況なので、
サンプリング上、多少偏っているかもしれないが、(退屈しのぎのはなしなので)
あまり気にしないで、仮説をやや緩めて13台に1台が日付ナンバーだとしよう。
1年間に300万台がナンバー登録するとしたら、
300万台×(1/13-1/27)=119,658台は、意図的に希望して日付ナンバー
を取得したことになる。
1台につき5千円を加算して払うとすれば、希望ナンバービジネスは約6億円/年
の市場になるのだろうか。
日付の他に、1桁の数字や7777などのゾロ目は抽選取得になるほど人気が高い
らしく、縁起の悪いナンバーを変えたいという人もいるだろうから、それらを加味す
ると、市場規模金額はもっと高くなるのかもしれない。
情報システムの開発費用を除けば、おいしいビジネスになるわけで、
ものづくり製造業者からみると少しうらやましい・・・。

・・・・・というようなことを思いながらハンドルを握っていたことがあります。
いつか大きな駐車場で検証してみましょう。

関心の分野が違う人にとっては、理屈っぽくて面白くも何ともない内容でした。
悪しからず・・・。


 


2017年11月26日

創業40周年を迎えて(感謝)

昭和52年(1977年)11月に父がアサ倉工業株式会社を立ち上げて、平成29年(2017年)11月8日で満40年を迎えた
その頃、私はまだ独身で、会社に勤めていたが、創業して半年くらいはあまり電話もかかってこなかったし、父が古いセダンの後部座席やトランクにスポンジシートなどを狭そうに積んで配達をしていた光景を覚えている。
やがて中古の印刷機を買って、ゴムスポンジのロール式連続プレスとして使えるまでに苦労してカスタマイズし、親指が機械に挟まれて、その労災保険で資金繰りに一息つくという綱渡りもして、少しづつ商売の軌道に載せ、平成初めまでのバブル景気の追い風もあって、取引先も財務諸表も現在の基本ができた。
それから、さらにリーマンショックなども越えて、4年前に私が社長を受け継いだが、社員やパートさん、内職さん、お得意様や仕入先、協力業者様など大変お世話になり、いろいろと助けていただいたおかげさまで、今日を迎えることができ、いくら感謝してもし尽くせない思いでいっぱいである。

一方、これからの40年は想像もつかない。
トヨタ自動車の豊田社長ですらEV自動車や自動運転への変化を見据えながら、”勝ち残りではない、生き残りに必死だ”と言われるくらいであり、少子高齢化に向かっている日本社会についての『未来の年表(講談社現代新書)』の中身を重ねると、いたずらに悲観的になることはないかもしれないが、会社存続の位置はこれまでの延長線上にはない中で必死に舵取りをして、長寿企業にしていきたいと思っています。
引き続きご指導ご鞭撻を賜りたくよろしくお願いします。
  


2017年02月06日

オカリナの効用

  アサ倉工業の社長になって4年目に入った。        
  63歳からの新入生には、車通勤時間も長く、帰宅したときはもう疲れて、何もせず
  寝てしまうことが多いため、1年ほど前から、家内が習い始めたオカリナの  
  音色が家の中で響くようになっても、一緒に弾こうという気持ちには    
  なかなかならない。            
                 
  22歳に同期入社したM君とは、今日まで私の方がずっとお世話になりっ放し  
  になっているが、彼は、音楽の才能に長けて、一緒に寮にいたころは縦笛、  
  ギターなどを弾いて、寮仲間を楽しませてくれたが、最近はオカリナに凝って、  
  初見で楽譜も読めるし、耳がいいので、短い期間に、プロ並みに?うまくなった。  
  時々家に来ては、ミニコンサートをやってくれたり指導してもらっている。  
                 
  昨年、義母がお世話になっている高齢者向けの施設で、彼に演奏会を頼んだ  
  ところ、曲の選定から、時間割、歌詞の準備などの前段取りにも気くばりが  
  利いて大変好評だった。          
  オカリナの音色は、優しくて、唱歌でも演歌でも心を癒してくれるし、かなりの  
  高齢者ばかりだったが元気になってくれたような気がする。    
                 
  日本の唱歌に限らず、「北の国から」、「小さな木の実」などの練習曲もメロディが
  きれいで、楽譜を見ながら聴いていると、作曲者はみな天才で、この#の  
  遊びがすごいなどと、彼にわかったようなことを言ったりする。    
  彼が演歌を弾く時は、こぶしを効かせてノリノリになるので、    
  ”弾いていても楽しいだろう”というと満面の笑みを返してきた。    
                 
  私もオカリナを買って、何とか指使いを覚えたので、母にリクエストを尋ねると  
  「荒城の月」を弾いてごらんと言われたが、低いラの音がうまく出ず    
  ”まだまだだねえ”と一蹴された。          
                 
  腹式呼吸で、口から長い息を吐いて楽しむ楽器は健康にもいいし、    
  彼は、ボランティアの演奏にも引っ張りだこだが、時間ができたら(を作って)  
  そんなふうに過ごしてみたいと思っている。        


2017年02月02日

アメリカファーストとノブレス・オブリッジ

  トヨタ自動車の業績が大きく影響する当社にとっても、騒がしいトランプ
  大統領の動向は大変気になるところである。
  ECを脱退した英国メイ首相とアメリカのトランプ大統領は親密な声明を出し
 
  たが、イスラム圏7か国の入国制限などの大統領令をはじめとする傍若無  
  人ぶりに、流石の英国もトランプ大統領を国賓としてエリザベス女王に謁見  
  することに非難の声が高まっている。          
  そもそも「アメリカ第一」という国単位の利己主義発言が、健全な”世の中”  
  に通用するはずはないと思うのだが、現実にトランプ氏が大統領になり、  
  イスラム圏からの入国制限に国民の半数が賛成するのだから、わから  
  ない。賛成した国民には、サルが怒ったという中国の故事「朝三暮四」  
  が重なるが、ここではリーダー側に立った感想を述べてみたい。    
               
  1982年に、イギリス領フォークランド諸島を巡ってイギリスとアルゼンチン  
  間で勃発した「フォークランド紛争」に当時23歳のアンドリュー王子が最  
  前線に赴いたことが話題になった。          
  階級が高く、庶民よりもよい生活をしている貴族は、国民を守るため    
  真っ先に戦場に駆け付け、最前線で生命を賭けて敵と戦わなければ  
  ならない。
  貴族の特権を維持するにはそれに見合う義務(ノブレス・オブリッジ)が
 
  伴うという精神がヨーロッパにはある。          
  マンハッタンに自社ビルを所有するトランプ氏も義務を果たそうという  
  つもりかもしれないが、自分さえよければという考え方からの発想では  
  本来の義務も品格も保てまい。            
  もし、自分ファーストが蔓延したら、電車・バスでお年寄りや体の不自由な  
  方に座席を譲る若者の光景も見られなくなるだろうし、ボランティア活動も  
  しぼんでしまいそうである。            
  そうならないことを信じ、寛容で多様性に富み、健全な精神と社会が
  アメリカと、全世界に取り戻されることを願ってやまない。
   
           




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