2020年10月07日

トランプ氏の行方 3日で強行退院の後、どうなるか

新型コロナウイルスに感染したトランプ氏は、全くもって、目的のためには手段を選ばないパーフォーマンス型の人間なので、自ら罹患してなお、周囲の人に感染する気遣いや規則など棚上げし、目前の大統領選に勝利するために無謀にも3日で退院した。
早く治すために「デキサメタゾン」や「レムデシビル」を投与し、「副作用」のリスクなどお構いなしの行動は、トランプ氏の戦略・戦術と根っ子は全く同じである。
 
さて、この先、“吉と出るか凶と出るか” 自らの意志や行動で将来を変え得るのか、それとも生命や自然の摂理に逆らうことはできないという結果になっていくのか興味深い。
 
立場によって事情は異なるといえども、世界で100万人を超える死者を出したコロナによる病人という意味では、一般人と変わらない。しかもトランプ氏は74歳、190センチ、111キロと不安を抱えている。
 
「死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」といったのは良寛さん。
「光陰は矢よりも迅かなり、身命は露よりも脆し」は修証義に出てくる道元禅師の言葉だが、極端な行動を取ったトランプ氏個人に対し、この先1週間ほど目が離せない。(令和2年10月6日)
 


2020年10月02日

中秋の名月を眺めたいが・・・

今年(令和2年)は、新型コロナウイルス禍があり、7月は大雨が続いたと思ったら、8月は異常な猛暑が続き、9月で台風が去った後、ようやく秋が訪れて、昨夜10月1日は満月が綺麗だった。

竹取物語の中に、かぐや姫が
『八月十五日(はづきもち)ばかりの月に出で居て、かぐや姫いといたく泣き給ふ。・・・・この月の十五日(もち)に、かの元(もと)の国より、迎へに人々まうで来(こ)んず。』と言って、自分は月の都から来たが、月から迎えが来るので帰らなければならないといってさめざめと泣く、旧暦8月15日が昨晩であった

また有名な話で夏目漱石が授業の中で、「I love you」を「日本人なら、『月が綺麗ですね』とでも訳せ」と生徒に言ったとか・・・。
こんな趣き深い情趣がある日本に、昨日、非情にも東証がシステム障害を起こし、あちこちから非難の声が上がった。
私もかつて情報システム部門にいて(バッチシステムではなく)オンライン業務がダウンしたときの大変な状況を知っているので、一時的に、大勢の関係者は”命を削るような努力”をしなければなるまいが、”命を削る”ことだけは避けてほしい。事前に障害が判明したなかでは、終日システムを停止させた判断は正しかったのではないかと思います。

信頼性を高める対策は急務ですが、人が作る以上、ハード、ソフトとも100%の絶対はありません。
同じような失敗を繰り返さないよう冷静な分析をした上で、最適な対策を講じていただきたい。

今年は珍しく、10月末にもう一度満月(ブルームーン
)が来ます。
その時には、少しでもゆったりと眺められるといいですね。
            

                                                    


 


2020年06月26日

創業者の妻を偲んで

昭和52年に父とともにアサ倉工業を創業した母が、令和2年4月に亡くなった。享年98歳。
母は、関東大震災があった大正12年に愛知県岡崎市の田舎で6人兄弟の次女として生まれた。
小学校から帰るとすぐ裏山へウサギのエサを取りに行って狐に化かされたことや、まわりの家に電灯が燈っても、うちはランプのままだった・・・などと子どもの頃の話を聞かせてくれた。
高野山で修業してきた祖父(母の父)が小さな檜の祠(ほこら)を細川の龍神山(りゅうじんさん)に建て、等身大の子安大師さんを家に祀って、三河弘法の札所にもなったが、貧乏は半端じゃなかった。
先日、母がお世話になった岡崎の住職にご挨拶に伺ったら、亡くなった21日は弘法さんの命日だと教えていただいた。深いご縁があるのだろう。
母のつつましい金銭感覚と、一方で苦労の中でも何とかなるという信仰に近い楽観主義は後年のアサ倉工業にじわっと影響を与えたかもしれないし、私だけがそう感じているのかもしれない。
特に、アサ倉工業を創業してからの数年間は「精出せば凍る間もなし水車」、「辛抱も朝日待つのも竹の雪」と口癖のように唱えてたし、「金がないのは首がないのも同じ(で情けない)」と聞くほど資金繰りの苦労も絶えなかった。
“自振り手形”を切らなくなって久しいが、母の頑張りがこんなところにも反映されている。
会社の銀行印を管理していた母も、80才になって後継に悩んでいたころ、普通の主婦だった家内が『私がやりましょうか』といった瞬間、父の顔がパアーっと明るくなった。
私より9年早く、妻は入社し、母からもいろいろと教えてもらった。
母は戦前に父と出会っており、父は中国の戦地で機関銃連隊に所属し、大勢の仲間が戦死する中で生還した。父は生死に対して腹の据わったところがあり、典型的な昔風の二人は補いながら人生の苦労を支えあって、振り返ってみると、案外幸せな生涯だったと思います。                   合掌
 


2018年10月04日

最適な自動配車のプログラムと最近のAIについて

”AIが使えたら苦労しなかったのではないか・・・”
と思えるシステムを無理やり作ったことがあった。
30年ほど前、バブル絶頂期だったろうか、情報システム部門に所属していたとき、物流部から、荷物をどのトラックに最適に載せるかという「自動配車」のシステムを完成させるように言われた。                                                        
当時、荷受待ちのトラックが物流センターから溢れ、まわりの道路をぐるりと囲む中、運転手の待ち時間をなくし、一刻も早く、最適な荷配りをすることは喫緊の課題だった。
例えば、4トントラックの荷台に、浴槽ばかり積めば、重量を余して満杯になり、反対に重いタイルばかりを積めば空間を余して荷重が4トンになってしまう。
また、荷降ろしに応対するお客様からみれば、できるだけ1台のトラックでまとめて受け取りたいし、運転手は、できるだけ少ない店を回って荷降ろしを完了したい。
また、A店とB店は仲が悪いので、同じトラックに荷物を載せないでほしい・・・。     
といったわがままな条件も織り込んで「最適な自動配車」のプログラムを組まなければならなかった。
こういった問題を解決するのに「オペレーションズリサーチ」が役に立つかもしれないと高価な専門書を自腹で買って、穴の開くほど読んでみたものの、こういった泥臭い実務問題には向かなかった。                                                           
幸い「1㎥=0.38t」と容積を重量換算できたので、実重をX軸、容積重量をY軸とし、荷物1個1個を”(x、y)の位置ベクトル”で表わし、その合成モデル化、トラックに積む順序を小さい順や大きい順、その組み合わせ順で、コンピュータの中で何通りもシミュレーションさせて、条件を満たした中から、評点の高いもの(効率よく積んだものなど)を正解とすることで何とか形になった。
一緒に夜中まで付き合ってもらったチームメンバーの力添えあってこそだが、なにせ開発納期が短く、寝る間も惜しんだ体力勝負の中、80点の提案ができれば、あとは人間が補正することでその時は間に合わせた。一から作ることに比べれば圧倒的に早く配車ができ、運転手の待ち時間を何とか減らすことができた。
これを事務計算が得意な「COBOL」言語で組んだので、”良く作ったな”というのが今の感想である。
現在なら、ベテランの積荷(とヘタクソな積荷)のデータを学習させておけば、AIが素晴らしい解答を導き出したかもしれないし、今の運送業界ではいろいろな実用化がされていよう。さらに、帰り便の効率まで考え、ネットワークやクラウドも駆使しながら、複数の会社にまたがった最適な「自動配車」も整備されているのではないかと想像する次第です。
 
蛇足ながら、正月休みも返上してテストしていた頃、物流部の責任者がフラッと来て、どんな様子か尋ねたときに、私は自信無げにつぶやいたらしく、後々になって、それを諌められた。
言われたときの彼の気持ちを考えると、技術屋は最後の最後の結論が確定するまで、ネガティブに弱音を吐くことは厳に慎まねばならないと今もって思い返すのであります・・・。
 


2018年07月12日

統計解析とAI ~画像認識による自動検査への活用~

AI(人工機能)が社会を変える、専門家の職業にAIが取って替わる時代が近いなど AIの話題には事欠かない。
全自動洗濯機やロボットがロボットを作っているうちは通常の科学や技術の進歩として、さほど驚くには当たらないが、車の自動運転や医者の替わりをするとなるとこれは革命である。  
                                                                      
AI(人工知能)の特性は、
(1)人間の脳を研究したモデルから、ニューラルネットワーク・ディープラーニングといって、学習をしながら賢く進化していくAIと、
(2)機械学習といって、あくまで大量データに統計的判断を行って区分けしたり、確率的な判断をさせる特徴をもったAI
の大きく2つに分かれる。

(2)については、統計解析を仕事の中で活用したことがあったので、この領域なら理解できるかもしれない。  
 
統計解析のひとつである「判別分析」の活用例として、 
・これまで全国に49店のスーパーを出店した。 
・出店の業績(成功か失敗)をyとして、出店先の人口、交通量、所得水準、公園の面積などを(x1、x2、x3、・・)とすると、y=f(x1、x2、x3、・・)という関係式が49組できる。
・x1、x2、・・は客観的に獲得できる情報であり、独立変数と呼ばれる。
・これに対し、yは結果であり、失敗して撤退することがあれば、高い授業料を払ったことを意味し、従属変数と呼ばれる。
・この49組の実績データから(x1、x2、・・)がどういうときにyの成功する確率が高くなるかを表す「判別式(関数)」を作る。 
・その後、新たな50番目の出店として、A,B,Cの候補地があったときにそれぞれの人口や交通量などのx値を「判別関数」にかけてyの値を求めると、どの店の成功確率が高いかがわかり、経験と勘を数値に置き換えて意思決定できるという仕掛けである。
                                                                                                                                                                            
また、「クラスター分析」と言う統計解析では、 
クラスターとは、群、塊り、集合体と言う意味であるが、データのグループ分けをグループの重心と各点との距離から、クラスターに分ける手法である。
例えば人間の顔の画像データをインプットすると、目か鼻かなどデジタルデータを区分けした集合体として認識できる。
 
猫の写真を何枚も撮って、これが「猫」だとコンピュータに教えておいたときに別の写真を見せて「猫」かどうか判定する場合はこうした分析手法やさらに「因子分析」によって、「固有値」を算出するというコンピュータが得意の領域がある。
 
AIのプログラムを組むことは私にはできないが、
「猫」を”製品"に、「他の動物写真」を"異品(不良品)”と置き換えると画像認識による異品の検査ができる。原理が同じなら、活用してみたいと思う。 
前提条件として、画像認識するためのパッキンなどの製品が、カメラの下に1個づつ行儀よく並ぶかどうかが問題であるが・・・。


2018年05月02日

23才 羽生青年のパレードに思う

平成30年4月22日、フィギュアスケートで五輪連覇した羽生結弦さんは地元・仙台市で行われた祝賀パレードで、沿道を日の丸で埋め尽くした約10万8000人の大歓声に手を振って応えた。その胸には大きな金メダルが輝いていた。
 
23才の青年がなぜここまで、大勢の人を引きつけることができるのだろうか。 
                                                     
中学生のときに東北大震災に遭い、犠牲になった方々を目の当たりにして、
「スケートをやってる場合なのか・・」ずいぶんと悩んだ挙句
「皆に勇気を与えるには僕はスケートしかない」というように考えて、さらに努力したと聞いている。                                                    
まして、平昌オリンピックでは、数ヶ月前に大怪我をし、出場さえ危ぶまれたのに見事金メダルを取り、我々に感動を与えた。
最後まであきらめず全力を尽くし結果も出して、支えてくれた大勢の方々にも感謝する姿勢が爽やかな好青年の姿と相まってあれだけの人を集めるのだろう。  
            
また、「類は友を呼ぶ」というが、パレードの後、観客は自分のゴミを持ち帰り、ゴミ袋は僅かしか要らなかったという。
政治家や官僚らのうんざりする言動とは対照的に、羽生君のファンなら清冽でありたいというプライドがそうさせるのだろうか。
テレビでニュースを見ながら、いたく感心してしまった。  


2018年04月11日

 「楊震伝(四知)」 と 安倍内閣  

十八史略の現代語訳の文庫本を読んでいたら、どこかの総理に感想をきいて見たいところが出てきた。
 
後漢の時代に「楊震」という「政治家」がいた。
博学で廉潔だったので関西(かんせい-楊震の出身地)の孔子とたたえられた人である。
東菜郡の太守になったときに、その町の長官職に「王蜜」という男がいた。
王蜜は楊震の引き立てによって、長官の職に就くことができたので、感謝の意をもって、ある日の夜中に賄賂を楊震に渡そうとした。
王蜜は、
『どうかお受け取りください。このような夜中のこと、誰も知るものはおりません』
というと、楊震は応えた。有名な四知のセリフである。
『天が知る。地が知る。私が知っている、君だって知っている。誰も知らないことはない』
これを聞いた王蜜は恥じ入って去っていった(蜜愧ジテ出ズ)。
 
もうお分かりだろうが、
・森友学園に財務省理財局から、「埋設ゴミの撤去にトラック何千台も走ったことにしてほしい」と言ったらさすがの森友学園も(近畿財務局も)応じなかった。
・加計学園では、内閣府の幹部が自治体に特区事業(獣医学部新設)を申請前に提案した。
・廃棄したはずのイラク日報や南スーダン日報などが、”無い”と国会で啖呵をきった後から発見される。
・働き方改革法案の提出にあたって、根拠となる調査データが一部デタラメだった。
など、安倍内閣は強引なだけでなく、頭から腐っているのではないかと非難されても仕方がない事例がゾロゾロ出てくる。
バレなければ何をやってもいいと思ってないでしょうね。
 
後漢書が書かれた時代から約2000年経ってなお、我々の眼に触れること自体、実際には正反対のことが横行し、廉潔の政治家は稀有だったということだろうか。
法案を通すために、不都合な文書や情報を遡って改ざんしたり、隠したり、あろうことか国会で平気でウソをつく有様は、悪い”憑き物”がとり付いているようにみえる。
この「楊震」の史実に照らし、報道どおりなら、安倍内閣も”年貢の納めどき”かもしれない。
 
米国、韓国、シリアなどのトップもいろいろと非難されているが、世界から見て、日本だって同類ではないかと思われたら、何とも残念で、恥ずかしい話である。

 


2018年04月05日

旨いお蕎麦やさんを探して

旨い蕎麦を食べたいというこだわりが強くなったのはいつごろからだろうか。 
きっかけは本からかもしれない。 
二十歳の頃、東京の下宿でごろごろしながら、夏目漱石の「我輩は猫である」を読んでいたら、主人の苦沙弥(くしゃみ)氏の友人、迷亭(めいてい)先生が蕎麦を食べるシーンがあって、矢も盾もたまらず近くの「やぶ」そばの店に駆け込んだこともあった。       
 
子供たちがまだ小学生だった頃、車で比叡山に家族で出かけ、帰りしな坂本にある「鶴喜」という店を見つけ、寒い時期だったので、温かいかけ蕎麦を食べたがめっぽう旨かった。
その後、偶然にも、司馬遼太郎の「街道を行く(叡山の諸道)」を読んだら「日吉」や「鶴喜」の店が紹介されてあり、おいしい記憶が増幅された。   
木曽福島の「車屋」にも若いときと、最近も出かけたが昔のほうが旨かったような気がする。   
職場が霞ヶ関ビルだったときは昼休みに、西新橋に近い
「虎ノ門大坂屋砂場(とらのもんおおさかやすなば)」にも時々通った。
青物横丁に住んでいたときは、京急立会川にあり、坂本竜馬も食べた?という「吉田家」に、ひとりで、また友人を誘って出かけた。      
東京にはおいしいお蕎麦屋さんがたくさんあり、神楽坂の本通りから裏道に入ると小粋な店があったりというように、藪、更科、砂場・・それぞれ探せばきりがない。 
 
地元に帰ってからも、旨い蕎麦の店を探したが、山本屋の味噌煮こみ、岡崎の釜春本店などうどんにも力が入っているせいか、満足のいく店に出会わなかった。
名駅や栄ビル街にあるテナントの店でも これぞ!とはいかなかったが、鶴舞近くの「春風荘」を見つけ、ここに落ち着いた。蕎麦のコシもつゆの甘辛さも天婦羅、ダシ玉子なども大満足である。
もう少し季節が進むと、昼神温泉の花もも街道が絢爛の美しさを迎える。    
偶々入った蕎麦屋さんで、畳敷きの部屋から眺めた紅白の花ももの美しさと蕎麦のコラボがたまらなかった。    
麺類には目がないという孫も誘ってぜひまた行ってみたいと思っている。    

 


2018年02月27日

”だめで元々”の要求で失うものについて

仕事を進めているといろんな要求を受けたりするし、相手にお願いする機会も多い。   
       
要求する側が、だめで元々というつもりで、言ってきたことについて 
受ける側に道理が納得できれば、特段のストレスは起きないが、     
その中に”我欲”や”いやしい”心理が見えたりすると嫌な気分になる。     
       
       
たまたま「山崎武也の「一流の条件」(1993年11月第1版)」   
という少し古い本を読んでいたら、同様のことが書かれてあった。   
       
『要求が通ればこのうえなく満足すべき状況になるし、     
通らなくても失うものはないと考えている。       
ところが実際には、かけがいのないものを失っているのだ。 
人間としての信用に傷がついているのに気がついていない。 
思慮分別のない軽薄な人だという評価をされてしまう。     
しかも、そういう人は相手にちょっと弱みがあるようなときに要求を出すので、       
卑怯な人という印象を与える可能性もある。・・・  
要求が通らなかったら、「元々」ではなく「大損をする」という意識をもっていなくてはならない。』     
       
著者は昭和10年生まれなので、現代でもそのまま通用するかわからないが、 
自分の感覚があながち特別ではないと思った。     

いたずらに控え目にすることもないけれど、お互いに相手への理解を優先して、できるだけ透明な気持ちで進めていくことが重要だと思う。       
 


2018年01月24日

マナーの基本は健康から ~風邪に負けない体力を~

ここ数年、年末年始にかけて、風邪でダウンするようになった。
昨年は、年末まであと2週間というときに風邪を引いて、会社にはだましだまし出勤したが、正月明けまで長引いた。
1年の疲れが出たかもしれないが、年齢による免疫力の低下がいちばん思い当たる。
そんな中、楽しみにしていた12月23日(祝日の土曜日)に銀座で行われる大学のクラス会を直前になって欠席の連絡を入れた。
このクラスには特別な思い入れがあった・・・。

わたしが入学した1969年(昭和44年)は、70年安保絡みで大学入試が中止になるほどの波乱の年で、入学式も4月遅くに行われた。
10月21日に佐藤首相が訪米すると、急に学生運動がしぼんでいって、晩秋になってまともな授業が始まった。
入学後半年間は、クラス討論会があったり、時間もたっぷりあったせいか、クラス単位のまとまりが強く、卒業後も幹事さんの面倒見が良くて、半世紀近く経った今も交流が続いている。――― その貴重な機会を不覚にも逃した。
また、仕事でも、こちらからお願いしたアポをキャンセルすることになった。

新入社員の頃、健康管理をして約束や納期を守ることがビジネスマナーの基本であることを教わったが、このまま『成り行き』任せでは体力は衰える一方だから、新しいことにも挑戦して流れを変えなければならない。

名古屋という場所はついつい車を使うので、万歩計はせいぜい3,000歩止まり、
どこか変えられるところはないかと意識して探し出し、PDCAを回すようにしよう。
玄米や大嫌いな納豆なども工夫すれば食べられるかもしれないし、週1回のテニス以外にも、もっと歩いたり、ヨガ体操も試してみよう。
さしあたって、地元を活かした「知多四国」巡りは、納経帳に記録も残り、こころにもよさそうなので、できるだけ週末の予定に入れようとかと思っています。

まわりでは、風邪もインフルエンザも流行っています。
皆様も油断せず、日頃から健康によいことを続けて、元気にお過ごしください。

 




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