2019年11月06日

地域のボランティア活動 (その3:お祭準備と台風19号)

全国に広く被害をもたらした台風19号が東海地方から遠ざかり、晴れ上がった
10月13日 日曜日の朝7時15分、知多市「尾張八幡神社」境内に、着飾った「屋形」と花車の2台が整列し、神事を司る役員らに「第10組 杉山ただいま到着しました」と大声で報告し、班長さんたちと正面の祭壇に深々と頭を下げて、当日の行事が始まった。             
大勢の方の支援のおかげで、やれやれ何とかなったという安堵の瞬間であった。             
 
台風19号は死者90名、行方不明5名、71河川・135ヶ所で堤防が決壊するという広範囲に大被害をもたらした。千葉県などではその前の台風15号の被害が大きかったため、台風19号については早くから警戒情報が出されていた。
そんな中、祭礼の3日前、10月10日木曜日の夕方、屋形を納めてある地元「皇后社」を守る町内の先輩が、台風接近の中どうやって準備するのか心配して私の家まで相談に来られた。  
パレード車に使うレンタカーは祭り前日、台風最接近の12日土曜日の朝しか来ない。
これまで、皇后社に納まっている「屋形」は町内の宝物であり、代々大切にして、雨に濡れたり、粗相して金の塗装が剥げたりしないよう大切に護っては、お祭りの晴れ舞台で披露してきた。
まず、皇后社の石段を上りきった境内の倉庫にある「屋形」を祭礼2日前の11日早朝に町内の世話役さんの倉庫に移動することにした。雨の中では石段の上り下りは危険だからである。
班長に召集をかけたが平日の朝の出勤時とあって大方出払っており、皇后社の上から重い「屋形」を降ろすときだけ出勤前の”若い”班長2名を頼り、後の仕事は平均年齢70歳を越える8名でこなした。軽トラックの荷台の上に「屋形」の「架台」を積み、さらに「屋形」をその上に据え付けると高さは3メートルを超え収納に難儀したが何とか納まった。             
 
そして幸いなことに、パレード車2台を収納できる町内の大きな倉庫を所有する工場が操業を早めに切り上げてもらえたので11日の夕方早くから倉庫を借りることができた。
子供会や班長さんたちが何日もかけて準備した紙花飾りや地元中学美術部が制作したパレード用の飾り絵などを倉庫に運び込み、祭り前々日にはあらかたの準備を終えることができたのである。            
 
祭り前日12日、土曜日の朝9時、ほぼ班長全員と花車の飾り付けに詳しい先輩方も倉庫に集合した。到着したレンタカー2台に「屋形」や紙花飾りなどを装着し終えるのに2時間もかからなかった。土曜日の朝方は、雨は多かったものの傘が使えないほどの強風はなく、班長さんたちの行き来に危険が及ばなくてラッキーだった。
そして、冒頭の当日集合に間に合ったのである。     
祭礼パレードに間に合う準備ができたのは、金曜日朝、夕の先輩方を中心とする頑張りと、土曜日朝方から大勢で準備に集中できたためである。         
 
祭礼が無事に終わって感じたことが二つある。         
一つは  
安全は最優先ながら、主催側から”中止”の場合の説明をついぞ聞かなかったのはなぜか。
祭礼は「神事」であり、主催者の宮司さんや神社総代たちにとっては、昔から神様と約束した行事は省略できず、たとえ悪天候であろうと成し遂げなければならない・・             
と考えているからではないか。     
この伝統を守る信念を尊重する一方で、少子高齢化が進む中で祭礼を継続していくためには、逆に柔軟に何を省き、どう変えていくのかも考えていかねばなるまい。     
二つ目は、何としても「屋形」を護り、かつ祭礼時には「日の目を見る」ように頑張る先輩方の強い想いである。「屋形」に限らず、大小の小道具などを何度も石段を往復して運んだ先輩方には、道元禅師の『典座教訓』にあるエピソードを連想させた。     
 
       *  *  *  *  *  *  *      
 
中国に留学中、道元禅師が寺の廊下を歩いていたとき、暑い中、老僧が庭でキノコを干していた。道元禅師は、あまりに大変そうなので、「誰かに手伝わせてはいかがか」と話しかけた。それに対し老僧は「他はこれ吾にあらず」  
(誰かにやってもらったのでは、自分でしたことにはならんからのぉ)と答えます。             
 
さらに道元禅師が、「もう少し涼しい時に仕事をされては」と言うと、
老僧の答えは、「更に何れの時をか待たん」(今でしょ!)というものでした。  
ちなみに、背中は曲がり、眉が真っ白なその老僧は私と同じ68歳でした。
 
以上、あらまほしき”先達”の指導と大勢の方々の協力に改めて感謝する次第です。
 
さて、祭礼の後片付けも終わったとき、別の『ある事』については次のブログで紹介することにします。  
 


2018年05月02日

23才 羽生青年のパレードに思う

平成30年4月22日、フィギュアスケートで五輪連覇した羽生結弦さんは地元・仙台市で行われた祝賀パレードで、沿道を日の丸で埋め尽くした約10万8000人の大歓声に手を振って応えた。その胸には大きな金メダルが輝いていた。
 
23才の青年がなぜここまで、大勢の人を引きつけることができるのだろうか。 
                                                     
中学生のときに東北大震災に遭い、犠牲になった方々を目の当たりにして、
「スケートをやってる場合なのか・・」ずいぶんと悩んだ挙句
「皆に勇気を与えるには僕はスケートしかない」というように考えて、さらに努力したと聞いている。                                                    
まして、平昌オリンピックでは、数ヶ月前に大怪我をし、出場さえ危ぶまれたのに見事金メダルを取り、我々に感動を与えた。
最後まであきらめず全力を尽くし結果も出して、支えてくれた大勢の方々にも感謝する姿勢が爽やかな好青年の姿と相まってあれだけの人を集めるのだろう。  
            
また、「類は友を呼ぶ」というが、パレードの後、観客は自分のゴミを持ち帰り、ゴミ袋は僅かしか要らなかったという。
政治家や官僚らのうんざりする言動とは対照的に、羽生君のファンなら清冽でありたいというプライドがそうさせるのだろうか。
テレビでニュースを見ながら、いたく感心してしまった。  




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