2020年09月28日

会社が税金を払うということ

当社は8月決算なので、決算数値が固まって課税所得が計算されると、法人税や事業税などを納めることになる。
今回の決算はコロナ禍の影響もあって厳しい結果になったが、私が会社の経理部門にいた30年ほど前のこと、
父に、利益(所得)が出るなら、(空調を取り替えるというような)節税対策を考えてみたらどうかと、生意気にも言ったことがある。
すると父からは意外な答えが返ってきた。
『お前の勤めている大会社なら、「これは売上、これは利益、これは税金・・」というようにあらかじめ計画を立て、実際に税金を払えるだろう。しかし、(アサ倉工業のような)中小企業は「締めてみてナンボ」の世界であり、必死にやって結果として利益が出たらやれやれと思って、税金をありがたく払うのだ目いっぱい走った後、払うべきを払うのであるから、狡い(こすい)ことを言うな』と父にしては珍しく語気を強めた。
社長になって、当社の創業期からの決算書類を見たが、確かに、赤字、黒字、赤字・・・と利益は不安定でよく持ちこたえられたと思ったことがある。
一介のサラリーマンが頭で考えたことと、体を張ったオヤジとは随分と感覚が異なった。コロナ禍で経済的なダメージが大きい状況下になってよけいに父の言ったことが理解できる(経営計画を立てる重要性とは別の話)。

別件で、定年間近のころ、社内で海外事業を分社化しようという話が持ち上がった。国内とは経営感覚が大きく違うので同じ組織体の中で意思決定を進めようとすると問題が多い・・というような背景からであるが、私は必死で反対した。国内なら便器1台売っても確実に利益が計算できるが、海外事業だけを取り出せば赤字事業である。全社の税務キャッシュフロー(税効果)からみれば、切り離すことによるメリットはない。
その時の経理担当は「繰越欠損があるので税金を払わなくて済む」とまで言い放った。
トップからの方針に協調しようと思ったのであろうか。中小企業では当期利益の後さらに税金を払うという資金繰りは大変悩ましく、繰越欠損は別立ての「納税準備預金」のようなものである。
さすがに分社化は実行されなかったが、町工場のオヤジになって、大企業とは感覚が異なることを、いろいろ思い出した次第であります。




 


2020年07月14日

令和2年 夏季休暇のお知らせ

平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、弊社の夏季休暇を誠に勝手ながら、
下記の期間とさせていただきます。
何かとご迷惑をおかけいたしますがよろしくお願いいたします。
        
          記
 
8月8日(土)~8月16日(日)・・・休業
 
8月17日(月)から 通常営業いたします
8月8日 (土) は当初操業日でしたが、休業日に変更いたしました
(当分の間、土曜日の操業日は、休業日とさせていただきます)
 


2020年06月26日

創業者の妻を偲んで

昭和52年に父とともにアサ倉工業を創業した母が、令和2年4月に亡くなった。享年98歳。
母は、関東大震災があった大正12年に愛知県岡崎市の田舎で6人兄弟の次女として生まれた。
小学校から帰るとすぐ裏山へウサギのエサを取りに行って狐に化かされたことや、まわりの家に電灯が燈っても、うちはランプのままだった・・・などと子どもの頃の話を聞かせてくれた。
高野山で修業してきた祖父(母の父)が小さな檜の祠(ほこら)を細川の龍神山(りゅうじんさん)に建て、等身大の子安大師さんを家に祀って、三河弘法の札所にもなったが、貧乏は半端じゃなかった。
先日、母がお世話になった岡崎の住職にご挨拶に伺ったら、亡くなった21日は弘法さんの命日だと教えていただいた。深いご縁があるのだろう。
母のつつましい金銭感覚と、一方で苦労の中でも何とかなるという信仰に近い楽観主義は後年のアサ倉工業にじわっと影響を与えたかもしれないし、私だけがそう感じているのかもしれない。
特に、アサ倉工業を創業してからの数年間は「精出せば凍る間もなし水車」、「辛抱も朝日待つのも竹の雪」と口癖のように唱えてたし、「金がないのは首がないのも同じ(で情けない)」と聞くほど資金繰りの苦労も絶えなかった。
“自振り手形”を切らなくなって久しいが、母の頑張りがこんなところにも反映されている。
会社の銀行印を管理していた母も、80才になって後継に悩んでいたころ、普通の主婦だった家内が『私がやりましょうか』といった瞬間、父の顔がパアーっと明るくなった。
私より9年早く、妻は入社し、母からもいろいろと教えてもらった。
母は戦前に父と出会っており、父は中国の戦地で機関銃連隊に所属し、大勢の仲間が戦死する中で生還した。父は生死に対して腹の据わったところがあり、典型的な昔風の二人は補いながら人生の苦労を支えあって、振り返ってみると、案外幸せな生涯だったと思います。                   合掌
 


2020年03月02日

パッキンの自動画像検査いよいよ運用開始!

2018年7月に『統計解析とAI ~画像認識による自動検査への活用~』とブログに書いたアイデアを、1年かけて精緻化し、経済計算ではとても投資・回収ができないので、「ものづくり補助金」に応募して採択通知が届いた2019年7月に、パーツフィーダー、コンベア、画像診断カメラ、その全体を制御する設計を受け持つそれぞれのメンバーに集まっていただき、システム開発をスタートしました。
検査対象の製品(ワーク)は、数ミリ厚のゴムスポンジシートをプレス機で型抜きしたパッキンです。50円玉くらいの、小さくて、薄くて、軽くて、柔らかくて、静電気でくっつきやすいハンディを持っており、当業界に詳しい方からは否定的な意見をいただきましたが、却って挑戦する気持ちが高まりました。

・パーツフィーダーにワークを供給する”ホッパー”に静電気除電装置を付け、
・S社製の垂直、水平両方向に振動するデュアルモーション方式のパーツフィーダーを地元企業のM精機にカスタマイズをお願いし、特殊塗料を塗ることで最後のワーク1個まで滑らかに出口まで運ばれ、
・そのパーツフィーダーの出口からワークが1個コンベアに落ちた後、次の2個目のコンベアにワークが落ちる間に、M社製のコンベアが秒速60センチの高速で回ることで、ワークの重なりを防ぎ、
・K社製の画像診断カメラがミリ秒の精度で撮影し、OK/NGの信号をシステムに送ります。
・これらのパーツ機能の全体制御する設計・開発を名古屋で一流の設計屋さんが引き受けていただいたことで、完成することができました。 
ワールドカップで善戦したラグビーのように「ONE TEAM」となってはじめて出来上がったありがたさに感激しました。

異品が混入していないか、ピンホールやバリの不具合はないか・・人間の目と指による検査は1秒当たり2個がせいぜいですが、このシステムでは2倍近くまでできます。 
また、「しきい値」を登録しておくことで、良品/不良品の判定のばらつきがなくなります。さらに、私の一番の開発動機になりますが、高齢化が進む内職さんにずっと頼る状況を大きく改善でき、”不良品を見逃したのではないか”という内職さんの心配も払拭できるようになります。  
                                                                     
なお、良品/不良品をカメラ装置に学習させるには  
(1) 製品の形・寸法、ピンホールの大きさなどを数値として登録して診断させるやり方
(2) 良品(不良品)を大量に画像入力し、それ以外を不良品(良品)とするやり方
のどちらも機能的にはできるのですが、入力負荷が小さく、自動診断の立ち上げが早くできる(1)の方式を採用しております。
今後、AIを活用した(2)の方がいいケースも出てくると思います。
1個当たりのパッキンは1円を切るような安価なものも多いのですが、1品番でひと月に百万個を超えるものもあり、されどパッキン・・・にこだわって、                                                     
不良品を1個たりとも流出させないよう、品質と信頼性を高めるべく、アサ倉工業は、これからも進取の精神を持って、変化し挑戦してまいります。
 


2020年02月14日

当社カレンダーを令和2年度用に更新しました。

平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

令和2年度(令和2年4月~令和3年3月)の当社カレンダーを
掲載いたしましたので、画面右上の

当社カレンダー参照

をクリックしてください。

令和2年3月までは、(令和2年1月~令和3年3月)までのカレンダーを
掲載します。


2019年02月05日

経営理念1 従業員の幸福(続き)

 ホームページを公開したばかりのころに以下のように経営理念1と補足説明を掲載しました。
 
アサ倉工業は、仕事を通して社会に貢献し、働く喜びを共有します。
当社は社員、パート合わせて十数人の会社です。
ここで働く人たちが一番の財産ですが、人生のゴールデンタイムを会社で過ごします。
せっかくですから、明るく、元気に、誠実に仕事にとり組み、社会に貢献し、働き甲斐を皆で共有し、一人ひとりが豊かで幸せな人生を築いていく。
アサ倉工業はそんな職場を提供していきたいと考えています。
<補足>       
当社の経営理念には、39年間の会社勤めのなかで学んだ影響が大きいのですが、従業員の幸せを経営理念の第一に掲げていただいた会社で働けたことはなんと幸福であったかと感謝の気持ちでいっぱいになります。
その気持ちを受け継いで、ここで一緒に働く仲間たちが、自らを主人公とし、仕事を通して生きがい、働き甲斐を持てるように、そして、経営努力の果実を分け合って、物心ともに豊かな人生を送っていただくことを願っております。
===    ここまで 前掲済み   ===
2014年(平成26年)2月に当社に入社し、その当日から社長をやることになって早いもので、満5年が経ちます。
入社して数ヵ月後に「経営理念」を作り、1年半後にはホームページを立ち上げ、社内外に向けて強い思いでこの「経営理念」を発信しました。
その第一に掲げたのが、冒頭の   
 
アサ倉工業は、仕事を通して社会に貢献し、働く喜びを共有します。
です。 
これまで、わがままを言いながら、よくぞ一緒にがんばってくれてありがとうと仲間の皆さんにしみじみ感謝申し上げるしだいですが、5年を一区切りとして、主に、ハード面から振り返って見ます。
 
就任1年目には、構内の事務所を強い地震に耐えられるように梁と柱に火打金物や筋交い、壁構造補強などやれるところ全てに実施しました。
建物自体は軽量鉄骨の軸構造で屋根も軽いので地震には強いはずですが、大工仕立の事務室は不安がありました。従業員の安全確保が何より重要な中、良い業者に出会って想定どおりの補強ができました。
 
2年目と4年目には、ものづくり補助金の制度を活用し、ベンチプレスで筋力を鍛えるような重い作業台の直断機を女性にも優しく、安全で精度の高い設備に変え、また、ハーフカット(底面部を少し残す)できる高精度で生産効率の高い自動裁断機も導入しました。新人のパートさんにも作業負荷が小さくて操作がラクな設備です。
 
3年目の春頃、展示会で屋根用の「遮熱塗料」があるのを見つけ、その夏を凌いだ後、晴天が続き、隣の住宅が日中窓を閉められる11月末に屋根の塗り替え工事をしました。
外側の屋根表面温度を最大20度、室内を同5度下げられる(カタログ表示)効果のおかげで昨夏は、命の危険と言われた異常な暑さを無事乗り越えることができました。
 
さらに、5年目の秋、トイレの会社に長く勤めた私にとって気になっていた和式トイレを、ようやく、洋式トイレにリフォームしました。
大勢の人が使うため、洋式に変える心理的な抵抗も少しはあったのですが、終日立ってプレス作業をするパートさんから、”膝が痛い"と言われたきっかけもあり、血圧が気になる従業員もいる中で、シャワートイレや暖房便座のついたトイレは皆さんにとても喜んでもらいました。
 
『人生のゴールデンタイムを会社で過ごす』なかで安全でより快適な職場環境にしていくのは経営者にとってもっとも重要な課題だと思います。
今後も引き続きしっかり取り組んでまいります。
 
仕事が終わってから、定年後になってから・・幸福を求めることもありましょうが元気に仕事をしている「今」にあってこそ幸せを感じたいものであります。
 
仕事を通して「幸せ」な人生を築く ことに関連して、
板橋 興宗 (いたばし こうしゅう )という曹洞宗の僧侶の本の中で「しあわせ」について印象深いおとぎ話があったので紹介させていただきます。
 
あるところに、一人の木こりさんがいました。
昔は電気のこぎりなどはありませんから・・
(中略)・・

何十年も毎日毎日のこぎりで木を切り倒していました。
あるとき、十メートルほど前方に世にも珍しい、美しい「けもの」が現れました。      
しかし、木こりさんが「あれっ」と見つめると、すぐに消えてしまうのです。
(中略)
その美しい「けもの」はその後も時々現れては、だんだんと近づいてくるようになりました。
しかし、木こりさんが、のこぎりを引く手を休めて見とれていると、またすぐに消えてしまうのです。 
(中略)
木こりさんは、とうとう「けもの」が現れても気にすることなく、ゴシゴシとのこぎりを引くようになりました。
そのようにして何日か過ぎ去ったある日、突然、その「けもの」が、のこぎりの上にのっかってほほ笑んだそうです。  
この美しいけものを「しあわせのけもの」と言うんだよ。
  
 以上
 


2017年11月26日

創業40周年を迎えて(感謝)

昭和52年(1977年)11月に父がアサ倉工業株式会社を立ち上げて、平成29年(2017年)11月8日で満40年を迎えた
その頃、私はまだ独身で、会社に勤めていたが、創業して半年くらいはあまり電話もかかってこなかったし、父が古いセダンの後部座席やトランクにスポンジシートなどを狭そうに積んで配達をしていた光景を覚えている。
やがて中古の印刷機を買って、ゴムスポンジのロール式連続プレスとして使えるまでに苦労してカスタマイズし、親指が機械に挟まれて、その労災保険で資金繰りに一息つくという綱渡りもして、少しづつ商売の軌道に載せ、平成初めまでのバブル景気の追い風もあって、取引先も財務諸表も現在の基本ができた。
それから、さらにリーマンショックなども越えて、4年前に私が社長を受け継いだが、社員やパートさん、内職さん、お得意様や仕入先、協力業者様など大変お世話になり、いろいろと助けていただいたおかげさまで、今日を迎えることができ、いくら感謝してもし尽くせない思いでいっぱいである。

一方、これからの40年は想像もつかない。
トヨタ自動車の豊田社長ですらEV自動車や自動運転への変化を見据えながら、”勝ち残りではない、生き残りに必死だ”と言われるくらいであり、少子高齢化に向かっている日本社会についての『未来の年表(講談社現代新書)』の中身を重ねると、いたずらに悲観的になることはないかもしれないが、会社存続の位置はこれまでの延長線上にはない中で必死に舵取りをして、長寿企業にしていきたいと思っています。
引き続きご指導ご鞭撻を賜りたくよろしくお願いします。
  


2017年02月06日

オカリナの効用

アサ倉工業の社長になって4年目に入った。      
63歳からの新入生には、車通勤時間も長く、帰宅したときはもう疲れて、何もせず寝てしまうことが多いため、1年ほど前から、家内が習い始めたオカリナの音色が家の中で響くようになっても、一緒に弾こうという気持ちにはなかなかならない。      
 
22歳に同期入社したM君とは、今日まで私の方がずっとお世話になりっ放しになっているが、彼は、音楽の才能に長けて、一緒に寮にいたころは縦笛、ギターなどを弾いて、寮仲間を楽しませてくれたが、最近はオカリナに凝って、初見で楽譜も読めるし、耳がいいので、短い期間に、プロ並みに?うまくなった。
時々家に来ては、ミニコンサートをやってくれたり指導してもらっている。   
 
昨年、義母がお世話になっている高齢者向けの施設で、彼に演奏会を頼んだところ、曲の選定から、時間割、歌詞の準備などの前段取りにも気くばりが利いて大変好評だった。       
 
オカリナの音色は、優しくて、唱歌でも演歌でも心を癒してくれるし、かなりの高齢者ばかりだったが元気になってくれたような気がする。 
 
日本の唱歌に限らず、「北の国から」、「小さな木の実」などの練習曲もメロディがきれいで、楽譜を見ながら聴いていると、作曲者はみな天才で、この#の遊びがすごいなどと、彼にわかったようなことを言ったりする。 
彼が演歌を弾く時は、こぶしを効かせてノリノリになるので、”弾いていても楽しいだろう”というと満面の笑みを返してきた。
 
私もオカリナを買って、何とか指使いを覚えたので、母にリクエストを尋ねると「荒城の月」を弾いてごらんと言われたが、低いラの音がうまく出ず”まだまだだねえ”と一蹴された。 
 
腹式呼吸で、口から長い息を吐いて楽しむ楽器は健康にもいいし、彼は、ボランティアの演奏にも引っ張りだこだが、時間ができたら(を作って)そんなふうに過ごしてみたいと思っている。


2016年11月03日

せっかちは親譲りか

私がアサ倉工業株式会社に入社した平成26年の2年前に、創業者の父は93歳で亡くなったので、”親父だったらどうするだろう”と思っても訊くことはできない。
父は70歳ころからは怒ることも人に意見するようなこともなくなって穏やかだったが、若いころは短気でせっかちであった。
小学校低学年の頃だったろうか、家のすぐ向かい側に「熱田東映」という映画館があった。映画(というより時代劇)の好きな父に時々つれていってもらった。
片岡知恵蔵とか市川歌右衛門などが出ていた映画全盛期のころである。
”孝保行くぞ”と言われてあわてて追いかけていって、上映中の暗いなか、席を探して座る。
私が今でも鮮明に覚えているのは、映画の途中でさっさと場外に出てしまったことだ。もともとストーリーがわかるような年齢でもなかったが、開演時間を無視して、場当たり的に入っては、”ここからは見た”と気づいた時にそくそくと席を立つ。この記憶が1度ならず、何回かあったような気がする。
上映時間前に窓口(またはインターネット)で希望の座席を決めて入る今のやり方から見ると、ずいぶんと慌ただしいが、見方を変えると、父はテレビ番組で、前篇、後篇とあると、後篇しか見なかったような記憶もあるのでそういう行動パターンの持主だったのだろうか。
それが良い結果を生むこともあったと思うが、そばにいた母から「いつもハラハラドキドキの人生だった」と今でもこぼすことがあるので、早とちりで失敗することも少なからずあったに違いない。
スピード感を持って進めることは今の時代はより重要になっているが、結論をせっかちに急いで、まわりを振り回したり、早とちりしないよう気をつけよう。


2016年07月14日

経営理念3・・・変化し挑戦する

当社の3番目の経営理念は、
アサ倉工業は、進取の精神を持って、変化し挑戦します。
変化の激しい世の中にあって、経験を活かしつつも、自らが積極的に変わる、挑戦することで成長していきす。

としています。
環境に順応しないと生き残りにくいが、順応しすぎると変化に対応できない。
”今までどおり”ではなく まず”変わってみる”という『立ち位置』を持つこと と、こつこつと努力し続けて成長するという『向上心』が重要ですよと訴えている。

長い間愛用したシステム手帳のメモの中に40代半ばごろであろうか、
『すべってもころんでも登れ不二の山 ・・・酒井得元著 安心して悩め 』
『歩みを進むれば近遠(ごんのん)にあらず・・・参同契(さんどうかい) 』


と書いてあった。
現状の殻を破って、何とか困難な目標を達成したいと強く思い、不退転の決意や勇気を持って、始めるのは今をおいて他にないと奮い立つとき、
この二つの言葉は何と心強いことか。当時も大いに悩んでいたころかもしれないが背中を押されて一歩を踏み出したと思います。
いずれにせよ、大きく変わるのは文字通り『大変』だが、こうした想いを込めた経営理念であります。



 





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